実に2か月ぶりに、発信しています。
とにもかくにも忙しく必死で、対外的にメッセージしている場合ではなかったというのが、
正直なところで、そのようなときは大抵の場合、「良くない」意味で忙しいのです。
仕事をしていれば、よくある話ではありますが、この2か月は相当苦しんで、
自問自答を繰り返し、久しぶりにシビれる期間でした。
ビジネスパートナーから裏切られ、事業のうちのある部分を手放さなければならなくなり、
そのようなときに重なるように税務調査がはいり、身も心も追い込まれていくのが、
実感としてありました。
この間、熊本では大きな地震が繰り返し起き、甚大な被害が連日ニュースとなっていましたが、
自分自身が目の前のことをこなすのに必死で、ニュースやSNSを見る時間もなく、
危機に直面したときには周囲のことを気遣えないなと、自らの不徳を省みながらも、
それでも目の前の事象に対処していくのが精一杯で、神経をすり減らしていくのでした。
当然、失敗や「良くない」ことを経験すれば、問題解決の糸口を探すわけですが、
この自分と向き合うということは、実につらい作業です。
目の前で起きていることは、すべて過去に変わっていく中で、
その過去を省みて、なおかつ未来にむけて生きていかなければならないのですから。
停滞して次に進むまでに時間を要する一方で、時計の針は止まらず、
周囲や自分をとりまく環境は何らかの進化を遂げていきます。
普段思考の中にはない、他人との比較、自分の無能さへの苛立ちや漠然とした焦りなど、
ネガティブな要素が自分を支配していきます。
自分でも幸運だと思うのは、苦しいときには、
寝食ともにするような親友や同じように自分と向き合い戦っている親友達が勇気を与えてくれ、
自分よりはるかに優秀なスタッフが目も手も届かないようなところを笑顔でこなしてくれ、
物理的にも精神的にも周囲のヒトたちが支えてくれることです。
一言でいえば恵まれています。
そのおかげで、必死さの中から生まれた生き抜く知恵と、
苦しんだという確固たる強さが身につき、いまを生きていけるのです。
1か月以上も公式戦からはなれていたロアッソ熊本のイレブンがピッチに戻ってきました。
彼らが直面した危機やかかえた苦悩は計り知れず想像もつきませんし、
僕も必死だったので、気に留めたり気遣ったりできるような余裕はありませんでした。
ただ彼らが勇気の象徴であったり被災された方々の希望であったりすることは、
被災地からかけつけた方々のいるスタンドを見れば一目瞭然ですし、
彼らから比べれば苦労の程度は雲泥の差ですが、
少しの間苦しんでいた自分自身も勇気づけられるのでした。
再開の日、5月15日は「Jリーグの日」だそうです。
1993年5月15日、Jリーグが開幕した日にちなんで制定されたとのことで、
「豊かなスポーツ文化の振興及び国民の心身の健全な発達への寄与」ということも
理念のひとつにあるリーグのまさに象徴となった再開の日でした。
便乗するように発信することを再開し、
このような崇高な理念をかかげるようになれるよう、精進を心に誓うのでした。